難攻不落の山城 備中松山城:4000×2649 DC-0005
遺構 現存天守・櫓・塀、石垣、土塁
城の種別 連郭式山城
所在地 岡山県高梁市
備中松山城は、小松山と大松山にまたがる広大な山城である。鎌倉時代の1240年に秋葉重信がこのあたりの地頭になり大松山に城を築いたのが始まりで1331年に高橋宗康が小松山まで拡張されたとされる。
戦国時代、三村元親の時代には大松山・小松山を範囲とする一大城塞となり、1575年備中兵乱の後、松山城は毛利家の支配化になる。 関ヶ原の戦い後、毛利家は萩に減封され松山城は、徳川家の支配下に入った後、城主家を変え続けたが1744年から板倉家が治め、明治維新をむかえる。
山頂の本丸、天守等に行くには険しい山道を進まずには行けないため江戸時代を通じて山麓に御根小屋を築き歴代城主はそこを政庁としていた。そのため廃城令により御根小屋は、壊されたが山上のの建造物はそのまま放置され荒廃していった。
昭和に入り荒れ果てた建物が次々と修復整備され天守、二重櫓、三の平櫓東土塀が国の重要文化財に指定され、一帯を国の史跡に指定された。特に天守は現存12天守の1つで山城では唯一の現存天守であり石垣はほぼ完全に残る典型的な山城である。
備中松山城は、現存天守と言うことでこの時の旅では必ず行きたかった城であった。軽い気持ちで山頂の天守に向かったが道が思ったより険しく、何度もここで道が当ってるのか?と不安になったのを覚えている。
そらく険しい山城であったため明治政府も手をつけずにいたのだろう。山城の堅固さを今に伝える貴重な城である。
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