小倉城:3008×2000 DC-0001
遺構 石垣、堀
城の種別 輪郭式平城
所在地 福岡県北九州市小倉
小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、戦国期に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築いた。しかし勝信は、関ヶ原の戦いにおいて西軍についた為に改易され、代りに入城した細川忠興(細川藤孝の嫡男)が南蛮造の天守などを建てた。
本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配された梯郭式平城であったと言われ、野面積みの石垣の上に大天守と平の小天守1基、平櫓117、二重櫓16、櫓門12、狭間3271を配していた広大な縄張りであった。
1632年(寛永9年)、細川家が肥後国に移ると、譜代大名として播磨国から小笠原忠真が15万石を領し、小倉城に入り、以後明治維新まで小笠原家が統治した。1837年(天保8年)、本丸御殿、天守を焼失し、それ以後天守は再建されず1959年(昭和34年)、鉄筋コンクリート構造で天守が外観復興された。
小倉城は、九州城廻りにおいて一番初めに訪れた城である。城の構えも立派で九州と本州を結ぶ拠点ということで250年もの間、変わらず統治し続けた小笠原家へ、幕府が寄せる信頼がうかがえる。現在は、敷地内に大名屋敷を再現した小倉城庭園が整備されており、一緒に行くと良いと思う。
余談だが宮本武蔵が佐々木小次郎と戦った「巌流島」は、豊前小倉領内にあり細川家が統治していた時に起こったことである(武蔵は、晩年細川家の客分となり熊本で没するのでこの時の出来事が細川家との関わりを強くしたともとれる)。そして武蔵の養子である宮本伊織が細川家の後の小倉藩主、小笠原家の筆頭家老となったのも有名である。
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